あ行

[新井]
2003年、GAEAマットに登場した謎の着ぐるみ動物。唐突に広田vs新井とカード発表された際には“新人説”と“週プロ記者新井氏説”が飛びかった。当初は本物のアライグマという触れ込みだったが、初戦でアクシデント的に頭が取れ、実は中に人が入っていることが判明。以降は正体暴きが戦いの焦点となった。計6度の登場のうち、正体が確認されたのはファング、長与、アジャ、ポリス。初戦、第2戦の正体については、諸説あるが未だに不明である。ちなみに、中身はジャンケンで決めていたというウワサもあった。

 

[一匹娘。]
悪良の名を捨て、チーム・クラッシュにも復帰出来なかった時期に、自らにつけたキャッチフレーズ。この長い迷走期間を抜け、エキセントリックへと辿り着いた。

 

[犬神家] 
試合展開を無視してコーナーポスト上で三角倒立を披露する謎の技。そのまま放っておくと直に力尽きるが、ごくたまにアストロシザースにつないで相手をビックリさせた。技名はビジュアルイメージから命名。浜田文子は出来ないことが確認されている。


[裏拳] 
裏拳の第一人者・アジャに仕掛けたのがキッカケで、いつの間にか使うようになった打撃技。アジャの裏拳があまりの衝撃で記憶が飛ぶのに対し、広田のソレは「なんか鈍く、痛い」らしい。何だかんだで8年くらい使ったが、回転速度はアジャの半分くらい。それでも、一度フェイクを入れてから放ったり、高さを変えて3回転連続で放ったりと、工夫を凝らしていた。ちなみに一時期、アジャ、尾崎、シュガー、広田と、レベルの差はあれ、GAEAマットに裏拳使用者が乱立し、“一大会で3試合連続フィニッシュが裏拳”という珍事も起きた。

 

[ウンコマッチ] 
2004年、輝とのシングルに輝のコスプレで登場した広田が突如提案した謎の試合形式。手に持っていた巻きグソを何らかの形で使用してのデスマッチだと推測されるが、ダブルコングらの乱入で試合はすぐにノーコンテスト裁定となったため、うやむやに。結局、どんなルールだったのかという疑問は、ウンコだけに全て水に流されたようだ。

 

[エキセントリック] 
コーナーに座り込んだ相手にダッシュして馬乗りになる、ブロンコバスターと同形の技。ダッシュの前にコマネチポーズから観客の手拍子をあおり、「エキセントリック!」と叫んでからダッシュして技を決める。チーム・エキセントリックはこの技の名称からつけられ、タッグの時は対角線同時攻撃も見せた。

 

[YEBISU] 
相手の背中にピョンと飛び乗り、そのまま両腕を絞り上げるギブアップ技。パロスペシャルに似ているが、腕の絞り方が少し違う。その体勢のまま相手の頭にカプッと噛みつくデンジャラスYEBISU、相手を押しつぶした状態で両腕を絞るグラウンドYEBISUなど、幾つかのバリエーションが存在する。正式名称はへなーラサンセット・YEBISU。夏の暑い日に開発されたこの技は、「季節を大事にしろ。夏と言えばビール。ビールといえばYEBISU。じゃあ、それで」という長与千種のその場のノリで命名された。同じビールなら、一番絞りのほうがトンチが効いていた。

 

[沖縄固め2000円札]
丸め込みの体勢から色々動いて、最終的にジャパニーズレッグロールの形に落ち着くオリジナル技。2000年に沖縄で開発されたことからこの名がつけられ、レッグロールで固めた際、シーサーのような顔をするのがポイントらしい。当初は本人が“変形沖縄固め”と命名したが、当の沖縄固めを誰も見たことがなかったため、マスコミ間では「一体、何が変形なのか?」と物議を醸した。

 

[OZ入り志願]
1997年2月、広田は地元・名古屋のリングで同期の加藤天美とともにOZアカデミー入りを志願。約半年の見習い期間の後、入校を断られたらしく、いつのまにか正規軍に復帰していた。娘のGAEA裏切り→OZ入り志願を目の前で見た母・世津子は「うちの娘はどうなっちゃうんでしょう?あっはっはー」と、能天気なコメント。娘が拉致され、北斗達に突っかかっていった竹内・母とはエラい違いであった。広田が中山に対して異常な憎悪を燃やすのは、自身が断られたOZ入りを中山がアッサリ認められたからという説もある。

 

[オモテ拳] 
プロレス技の常道として“裏”“リバース”は数あれど、裏の裏=オモテという発想の技は恐らくこれ一つ。裏拳とは逆に、握った拳をフォロースイングで叩き込むその様は、“早すぎたロシアンフック”か。裏拳の交わされざまに、“返し”でそのまま叩き込むことが多かった。